【浅間山荘事件】日清食品のカップヌードルの都市伝説
日清食品のカップヌードルは、1972年の浅間山荘事件を切っ掛けに売れるようになったという話しが定説となっているのですが、実はこのエピソードは半分嘘という都市伝説があります。
日清食品の安藤百福は、自分の名前に「百」が入っていることから100円と値段を決めて1971年に発布ヌードルを開発して発売したのですが、袋麺のチキンラーメンの4倍という価格だったことから売れず自衛隊などに納入していました。
しかし、翌年の1972年に浅間山荘事件が起こり、機動隊員がカップヌードルが食べている様子が全国に報じられた事を切っ掛けに、カップヌードルは爆発的に売れるようになったとされています。
これが定説として語られているのですが、実はこのエピソードは半分嘘で、カップヌードルが売れるようになったのは浅間山荘事件よりもかなり後だという都市伝説を聞いたことがあります。
都市伝説を調べて見た結果
日清食品が1971年にカップヌードルを東京で発売。当初は売れなかったのですが、カップヌードルがデパートと自動販売機で売れ始めていたところに、1972年2月に浅間山荘事件が発生します。
浅間山荘事件で機動隊員らがカップヌードルを食べる様子がテレビに映ったので宣伝にはなったものの、カップヌードルは東京だけで販売されており、全国展開していないなかったので、売上には直結しなかったようです。
その後もカップヌードルはデパート、レジャーランド、自衛隊などへの販売、自動販売機で着実に売上を上げていき、関西の同業他社がカップラーメンを発売したので、日清食品は1972年6月に関西でカップヌードルの販売を開始します。
そして、カップヌードルがジワジワと売上を伸ばしていき、知名度が東京から関東へと広がってくところに、1973年の初頭から関東の食品問屋が一斉にカップヌードルを扱い始めたため、爆発的に売れ始めたそうです。
したがって、史実では浅間山荘事件が発生したとき、カップヌードルは全国販売されていなかったので、浅間山荘事件が切っ掛けで爆発的に売れるようになったという定説には疑問が残ります。
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