三国志11PKの天下統一記 劉備の雌伏
光栄のシュミレーションゲーム「三国志11PK」のPKエピソード3(難易度:上級)プレイ記録です。
前置き
マップ(中国大陸)のほぼ中央に新野という城があり、劉備は新野を居城としています。
劉備は南の劉表と同盟を結んでおり、北と東から攻めてくる曹操軍を撃退しながら、天才軍師・諸葛孔明の登場を待ち、孫権と同盟を結んで、赤壁の戦いを起こすのが、史実ルートです。
しかし、曹操軍を防ぐことが出来ず、今回のプレイ記録は、3度目の挑戦となります。
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新野の放棄
2度の失敗は資金不足や兵糧不足に苦しんだので、我が劉備軍は、南方の空白地の武陵を占領して、武陵から新野へと資金と兵糧を輸送する作戦に出た。
しかし、度重なる曹操軍の侵攻により、兵糧不足を起こしてしまったので、諸葛孔明の登場まで持ちこたえることが出来ず、劉備軍は新野を捨てて、武陵で再起を図るのだった。
再起
貢ぎ物攻撃で孫権との同盟にこぎ着けて安全を確保した劉備軍は、武陵へと入ると、空白地だった零陵と桂陽を手に入れた。
あまり肥沃な領土ではないが、隣接している劉表軍と孫権軍とは同盟を結んでいるので、どこからも攻められる事はなく、安心して国力増強に励む事が出来た。
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蜀への侵攻
孫権軍が劉表軍と激しく争っている間に、武陵で戦力を整えた劉備軍は、諸葛孔明を手に入れるために、新野を奪還しようと目論むが、同盟している孫権軍が新野を占領してしまう。
新野の奪還が不可能となった劉備軍は、諸葛孔明を欠きながらも、諸葛孔明の「天下三分の計」を実現するため、劉璋軍が納めるマップ南西の蜀へと侵攻を開始する。
劉備軍は長江を使って西進し、劉璋軍の永安と江州を攻め落とすと、勢いに乗じて成都へと侵攻しようとするが、成都は北から攻めてきた馬騰軍に占領されており、奪還を目指す劉璋軍と激しい戦いを繰り広げていた。
名将・馬超を有する馬騰軍の勢いはすさまじく、馬騰軍は劉璋軍を蹴散らすと、劉備軍の江州へと侵攻してきたが、劉備軍は関羽、張飛の活躍により、馬超を退けるのだった。
成都争奪戦
成都は蜀の首都となるだけあり、重要な場所で、劉璋軍と馬騰軍が成都を巡って激しい戦いを繰り広げていた。
我が劉備軍も、成都へと侵攻し、疲弊した劉璋軍と馬騰軍を撃破して、成都を手に入れる事に成功する。
しかし、馬騰軍が大軍を率いて成都へと侵攻してきたので、劉備軍は成都で防戦を試みるが、兵糧不足に陥ったので、成都を捨てて江州へと引くのだった。
兵糧を増やして軍を建て直した劉備軍は、再び成都への侵攻を目論むが、永安が曹操軍の侵攻されたため、永安の兵力は曹操軍を撃退するために温存しなければ成らなくなった。
そこで、劉備軍は江州の兵力だけで、成都へと侵攻を開始。劉璋軍と馬騰軍が争って兵力が減った隙を突いて、成都を攻め落とし、成都の奪還に成功する。
再び馬騰軍の大軍が成都へと押し寄せてくるが、馬騰軍の来週を想定して成都へ兵糧と兵士を輸送しておいたので、兵糧不足に陥ることはなく、成都の防衛に成功した。
その後も、北から馬騰軍が、南からは劉璋軍が幾度となく攻めてきたが、関羽や張飛の活躍により、劉備軍は馬騰軍と劉璋軍を撃退するのだった。
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漢中を攻略
成都を手に入れた我が劉備軍は、押し寄せる馬騰軍と劉璋軍を幾度となく撃退したので、馬騰軍も璋軍も、国力を消耗しており、恐るるにたらない。
とはいえ、兵力を2つに分けて、同時に南と北へと侵攻するのは難しい。
そこで、劉備軍は、成都に兵を残して劉璋軍を撃退しつつ、関羽と張飛などの精鋭部隊で、北の馬騰軍を攻める作戦に出た。
劉備軍の精鋭部隊は、何度も現れる馬超を撃破しつつ、梓潼を攻め落とし、ついに北伐の要所である漢中を手に入れることに成功したのだった。
漢中を防衛
漢中は、劉邦が漢王朝を開いた場所で、マップ北西の要所である。
劉備軍は漢中で曹操軍と隣接したこともあり、漢中は曹操軍と馬騰軍から幾度となく侵攻を受けるが、後方から物資を輸送して、なんとか防衛に成功する。
しかし、曹操軍は次から次へと部隊を送ってくるので、漢中防衛から手を放すことが出来ず、劉璋軍の討伐に着手できない。
そこで、劉璋軍の討伐はAIに任せ、劉備軍の本隊は、漢中を防衛しつつ、隙を突いて馬騰軍を討伐する作戦に出るのだった。
馬騰の討伐
劉備軍は漢中を防衛しつつ、関羽や張飛などの精鋭部隊で馬騰軍の討伐を開始し、馬騰軍の天水を攻め落とす事に成功した。
馬騰軍の領土は武威だけとなり、もはや風前の灯火だった。
一方、曹操軍の部隊は次から次へと攻めてくるので、劉備軍の本隊は漢中から動けない。
そのようななか、AIに任せていた劉備軍が劉璋軍の討伐を完了したので、劉備軍は一気に戦力を回復するのだった。
そこで、馬騰軍に降伏を勧告したが、馬騰軍は降伏しなかったので、劉備軍は関羽や張飛の精鋭部隊に馬騰軍の討伐を任せ、本隊は曹操軍の領土へと侵攻するのだった。
天下三分の計
関羽らが馬騰軍を攻め滅ぼすと、中国大陸に残る勢力は、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備だけとなり、「天下三分の計」が完成する。
劉備軍は孫権と同盟を結んでおり、孫権とともに魏の曹操を討つべく、張飛の精鋭部隊が北の街道を東へと侵攻し、劉備の本隊は南の街道から東へと侵攻を開始する。
そのやさき、曹操軍の曹操が寿命により死去してしまう。
曹操が死んだということは、劉備や関羽、張飛の寿命も近いかもしれない。
劉備は蜀という広大な領土を得たが、諸葛孔明の取得に失敗して人材に欠いており、関羽、張飛、超雲などの寿命が来れば、人材的に不利になる。
ここからは時間との闘いになるので、劉備軍は曹操軍の討伐を急ぐのだった。
劉備の死
劉備軍は曹操軍の討伐を再開した矢先、劉備が寿命で死去してしまう。
無能な息子・劉禅が劉備の後を継ぐが、劉禅を見限った数人の武将が劉備軍を去ってしまう。
武将の忠誠心が下がってしまったため、忠誠心を回復するために足止めを食らってしまうが、なんとか被害を最小限に抑えると、曹操軍の討伐を再開するのだった。
上陸作戦
さて、劉備軍は、次々と曹操軍の城を攻め落とし、マップの東側まで到達し、曹操軍を黄河の北へと追いやった。
劉備軍は休むこと無く曹操軍を討伐するため、黄河を渡って「ギョウ」(漢字は変換できず)を攻めようとするとが、曹操軍の反撃に遭い、黄河の北岸へ上陸する事ができない。
何度も上陸に失敗して、曹操軍との激戦を繰り広げるが、劉備軍は最大の勢力となっており、後方からの物資支援を続け、激戦に次ぐ激戦の末、数の力で曹操軍を押し切り、黄河の北岸へと上陸する事に成功し、「ギョウ」を攻め落とすのだった。
孫権の裏切り
劉備軍は曹操軍の「ギョウ」を攻め落とすと、勢いに乗じて西の平原も攻め落とした。
これで曹操軍は一気に北へと追いやる事ができ、曹操軍の討伐は時間の問題だった。
しかし、同盟を結んでいた南の孫権が同盟を破棄して劉備軍の寿春へと侵攻してきた。
孫権に背後を突かれた劉備軍は、関羽や張飛に曹操軍の討伐を任せると、周辺の城から寿春に兵を集めて次々に押し寄せる孫権の大軍を迎え撃つ。
その一方で、劉備軍は西側の軍団を再編し、孫権軍の攻略を命じるのだった。
天下統一
我が劉備軍の精鋭部隊は、関羽や張飛などの猛将を寿命で失うが、圧倒的な数の力で曹操軍を押さえ込み、やがて曹操軍をの討伐に成功する。
一方、寿春で防衛に徹していた劉備軍の本隊は、隙を見て反撃に転じ、次々と孫権の城を落としていた。
そこで、軍団を再編し、4方向から孫権の攻略を開始する。
途中で劉備軍の武将が謀反を起こして独立したが、劉備軍の勢いを止めることは出来ず、劉備軍は謀反勢力と孫権を攻め滅ぼして、中国大陸を統一したのだった。
三国志11のクリア後記
三国志11は久しぶりに遊んだのですが、面白かったです。
ただ武将の数が少ないので、武将の数は3倍くらいは居ないと人材不足すぎだと思いました、
「信長の野望」も久しぶりに遊びたいので、PKが半額セールになったら購入しようと思います。
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