秋田美人の発祥は佐竹義宣だった!茨城県が不美人産地になった理由
日本の三大美人といてば、秋田県の「秋田美人」、福岡県の「博多美人」、京都府の「京美人」です。今回は秋田美人の発祥は茨城県だったという話しを紹介します。
秋田美人の発祥は佐竹義宣だった
佐々木希、壇蜜、加藤夏希など数多くの秋田美人を輩出する秋田県だが、秋田美人のルーツは茨城県にあると言われている。
実は、秋田美人のルーツは、関ヶ原の合戦にまで遡る。
常陸国(茨城県)54万石の大名・佐竹義宣(さたけ・よしのぶ)は、西軍・石田三成側だったが、関ヶ原の合戦で曖昧な態度を取り、西軍にも東軍にも加担しなかった。
このため、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、佐竹義宣を出羽国秋田郡(秋田県)20万石への国替えを命じた。
この国替えは、佐竹義宣は関ヶ原の合戦に参加しておらず、兵力を温存していたので、佐竹義宣を関東から遠ざける目的だったとされる。
さて、この国替えに怒った佐竹義宣は、女好きだったこともあり、常陸国(茨城県)の美女を率いて、出羽国秋田郡(秋田県)へと移った。
その後、徳川頼房が常陸国水戸藩(茨城県水戸市)の大名となるが、水戸には美人が1人も居ないので、佐竹義宣に文句を言うと、佐竹義宣は秋田のブスを集めて、水戸に送りつけた。
これが、秋田美人の始まりで、秋田県には美人が多く、茨城県は不美人が多くなったと言われている。
しかし、実際は、佐竹義宣が出羽国秋田郡(秋田県)へ移るとき、一族と重臣の他には譜代の家臣93騎しか連れて行かなかったというので、秋田美人の発祥が佐竹義宣だったという説は創作だと思われる。
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日本三大不美人産地
「秋田美人」「博多美人」「京美人」を日本の三大美人というのに対して、「仙台」「水戸」「名古屋」を日本三大不美人産地と呼ぶ。
日本三大不美人産地については、いつごろ、誰が言い出したのかはハッキリとしないが、大宅壮一が言い出したという説もあり、まことしやかに定着した。
水戸の不美人説と同じように、仙台の場合は、伊達政宗が江戸に美人を引き連れて行ったので、美人がいなくなったと言われ、名古屋の場合は将軍のために美人を全員、江戸の送ったので、不美人しかいなくなったと言われている。
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