「まんぷく」のテイコー食品(抵抗食品)と猿渡鎌作のモデルは日華食品事件
「まんぷく」で立花萬平に徹底的に抵抗するテイコー食品(抵抗食品)の猿渡鎌作が登場するのだが、テイコー食品のモデルは日華食品なので、史実の日華食品事件を紹介します。
日華食品事件の発端は、昭和34年に日清食品(まんぷく食品)のチキンラーメンが大ヒットしたことにあります。
チキンラーメンは飛ぶように売れるので、問屋は日清食品にチキンラーメンを注文するのですが、日清食品は無いと言ってチキンラーメンを売ってくれませんでした。
すると、問屋が怒って「どこかに隠してるんじゃないか」と言い出したので、日清食品の安藤百福(立花萬平)は「本当に無いんです。嘘と思うなら、工場に来てごらんなさいよ」と答えたのです。
それで、問屋が日清食品の工場を見学したのですが、このときに問屋だけでなく企業スパイも混じっていたようで、工場見学でチキンラーメンの製造方法を盗んで自分たちでチキンラーメンを作り始めたのです。
このとき、安藤百福(立花萬平)はチキンラーメンの袋のデザインについては権利を取っていたのですが、チキンラーメンという商標は取っていませんでした。
このため、袋のデザインは使えなかったのですが、チキンラーメンという名前を使うことには問題がなかったので、工場見学で製造方法を盗んでインスタントラーメンを作り始めた人たちがチキンラーメンという名前で販売したのです。
それで、日清食品の安藤百福(立花萬平)は、慌ててチキンラーメンの商標を取るために、テレビCMなどを開始して、なんとかチキンラーメンの商標を取得することに成功しました。
安藤百福(立花萬平)は以前から各社に、チキンラーメンという名前で販売するなと警告していたのですが、日華食品(テイコー食品)は安藤百福に抵抗し、チキンラーメンという名前で販売を続けていました。
そこで、安藤百福(立花萬平)はチキンラーメンの商標を取得すると、裁判を起こして日華食品(テイコー食品)を訴えました。
しかし、日華食品が徹底的に抵抗しており、実は日華食品の方が日清食品よりも早く、チキンラーメンという商標を出願していたことが判明し、一転して日清食品がニセモノになってしまったのです。
ところが、日華食品(テイコー食品)が日清食品(まんぷく食品)から社員を引き抜いて製造方法を聞き出していたことが判明したため、正式にチキンラーメンは日清食品の商標だと認められ、日華食品はチキンラーメンを作れなくなりました。
これが、「まんぷく」のテイコー食品と猿渡鎌作のモデルとなった日華食品事件ですが、日華食品事件に似たような事件は他にもあります。
当時のチキンラーメンは乾麺の何倍もの値段だったのですが、飛ぶように売れており、儲かったので、各社が製造方法を手に入れるため、高給を払って日清食品から社員を引き抜きました。
インスタントラーメン大手の某メーカーも、日清食品から社員を引き抜いてインスタントラーメンに参入したので、某メーカーと日清食品が対立したとき、日清食品の安藤百福は「某メーカーは日清食品から社員を引き抜いたので、工場の機械も日清食品と同じだ」と名指しで批判しています。
日華食品の後日譚
この日華食品事件には後日譚があって、高杉良が東洋水産をモデルにした小説「燃ゆるとき」を出版しました。
小説「燃ゆるとき」には、日清食品が偽名で登場しているのですが、小説「燃ゆるとき」に登場する日清食品の偽名が「日華食品」なのです。
これは、日清食品と日華食品がチキンラーメンの商標を争った日華食品事件が元ネタで、日華食品事件を知っている人が小説「燃ゆるとき」を読むと、その意味が分かるようになっています。
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